あんずにっき

元役者が、役者視点でモー娘。や演劇女子部について語りまくります。

「私が好きだったモー娘。はアイドルじゃなかったかもしれない」と気づくと同時に、いまさらになって鞘師に惚れてたことにも気づいて悲しい。

 どうもこんばんは。

 また一部の方から怒られそうなタイトルになってしまいましたが、いろいろとまだ引きずったままの状態で先日からの音楽祭とMUSIC DAYの放送をみて、ふと思ったことがこちら。

 

「なんか……モーニング娘。‘17って、アイドルだなあ」

 

 とってもいまさらです。でも、なんだか自分のなかでものすごく衝撃でした。

 じゃあ、‘16は? ……うん、これもアイドル。あれ、じゃあ‘15は?‘14は?? それ以前は??? 

 ……アイドルじゃない!!!!

 

「そうか。私の好きになったモー娘。は、アイドルじゃなかったんだなあ。そしてそれは、鞘師の存在がほんとうに大きかったんだなあ」

 ということに気づいてしまって、なんだか頭が真っ白になってしまった。

 

1.「アイドル」「アイドルじゃない」

 

 この、「アイドル」「アイドルじゃない」という感覚はおそらく非常に個人的なもので、なかなか説明してもわかってもらえないとは思うのですが……

 私は、「タレントの魅力を表現するために歌がある」のが「アイドル」で、「歌を表現するためにタレントがある」のが「アイドルじゃない」=「歌手」だ、と思ってます。そしてその観点で、‘15までは歌手(もしくはアイドル歌手)、‘16以降はアイドルだなぁ、と感じました。

 どちらが良いとかは一概に言えるものではないと思いますが、私の好きだった、ハマったモー娘。は、アイドルじゃなかったみたいです。

 

 

2.素直なものが好き。

 

 アルバム「13カラフルキャラクター」が大好きで、頻繁に車内で聴いているんですが。最近あれを聴いてると、なんかもう涙が出てきてヤバいんですよね。

 なにがって、あのころのモー娘。の歌はとっても素直で、すごい心に響いてくる。単純にいい歌すぎて泣けてくるんです。

 

 私、芝居も歌も、素直なのが一番好きなんです。

 9期も10期も、加入から数年はみんなまだ子供で、ほぼ素人で。歌とダンスの両方を何の苦もなくできる子はおそらく1人もいなくて、みんな先輩についていくのに精いっぱいで。歌の現場では、ただ一生懸命、そして楽しんでパフォーマンスをすることだけを考えているように見えました。

 キャリアの長いれいなも、歌に関してはすごく素直というか、いつも「その歌を一番良い形で表現しよう」としていた気がする。さゆだって、バラエティでは自分のことを可愛いとアピールするのがネタになってましたが、楽曲やパフォーマンスを自分の可愛さをアピールするために使うようなことって一度も無かったように思います。さゆはいつも、「自分が可愛く、美しくあることがパフォーマンスの質を高める」ことをわかって、そのために美しくあった。歌に苦手意識があることもあってか、さゆの歌はいつも真っすぐだったしね。

 そんな先輩たちがいたからか、カラフルキャラクターの時期はみんなが歌やダンスにまっすぐに取り組んでいて。『Be Alive』と『ゼロから始まる青春』は、もう涙なしじゃ聞けないです。歌に邪念がないぶん、聞き手が勝手に頭のなかで想像を膨らませられるというか……。歌でも芝居でもそうですが、「泣かせてやろう」とか「感動させてやろう」とか「自分のことを可愛いと思わせてやろう」とか、そういうのってなんとなく伝わるというか、ちょっとでもその気が見えるとしらけてしまうんですよね。そういうのが一切なかった。『ゼロから始まる青春』の、「やっぱり平和がいい 老後も安心なら なお素晴らしい」とかもう、ホント毎回泣けます。そうだよな、やっぱり平和がいいよな! あそこをあの二人に歌わせたあたり天才すぎるで……

 そして『笑って!YOU』の、9期10期の輝きっぷりね……! ああ~、この子たちがこれから切磋琢磨しながらお互いに高め合ってモー娘。を引っ張っていくんだと、希望に満ちた気持ちにさせてくれますよね…!!! ズッキの気持ち良すぎる高音からの鞘師パートで、うひょ~~~!ってなりますよね!!! まぁ今となっては、その興奮と同時に切なさも押し寄せてくるのですが…。

 

3.いつも、いつまでも真っすぐだった鞘師。

 

 さて、ここで鞘師です。

 鞘師って、‘14に入るあたりで、一気にぐっと大人っぽくなりましたよね。

 年齢的にもそういう時期だったかもしれませんが、それにはやっぱりれいなが居なくなったことや、再ブレイクに向けて「エース」として祀り上げられることの重みも影響したんじゃないかな、と思います。

 大人っぽくなるにつれ、昔は明るく自信満々、そして楽しげだったパフォーマンスにも変化が訪れます。ただ楽しむだけじゃなくなった。思うところもいろいろとあったでしょう。歌が不安定な時期もありました。でも、それでもいつだって、鞘師のパフォーマンスは魅力的だった。鞘師の歌は心地よかったし、心に響いた。それは、鞘師がいつも真っすぐだったからだと思います。

 「私の歌を聞け!」じゃなくて、「この歌を聴いて!」。「上手く歌おう」じゃなくて「この歌を素敵に歌いたい」。「私の可愛い(かっこいい)ダンスを観て!」じゃなくて「このダンスを可愛く(かっこよく)踊りたい」。鞘師のパフォーマンスは、そういうとても素直な気持ちから生まれていたような気がします。そしてそれは、モーニング娘。を卒業する最後の最後まで一貫していた。鞘師が歌って踊ると、曲の存在感が増した。グループとしての輝きが増した。その輝きに魅せられてモーニング娘。のファンになったことを、今更になって思い知りました。

 

4.まとめ。

 

 もちろん‘16も‘17も、みんな一生懸命やってます。でも、その方向性がだんだん変わってきているなぁとずっと思っていて、先日からのテレビ放送でようやく自分の感覚が腑に落ちました。

 自分を魅力的にみせようとするのは、アイドルとしてはとても良いことです。でも、私の好きになったモーニング娘。ってそうじゃなかった。歌やダンスが苦手でも、一生懸命やってる姿から元気をもらった。どこまでも真っすぐ、「良いパフォーマンスをする」ことに向かっている姿が好きだった。

 これは私だけなのかもしれませんが、可愛さや美しさって観ている側が勝手に感じることなので、過剰にアピールされるとちょっと引いてしまうところがあります。歌もそう。可愛い歌だから可愛く歌う、切ない歌だから切なく歌う。それは一つの正解ですが、そこに「自分を可愛く見せよう」とか「こう歌えば切なく聞こえて感動させられるんじゃないか」とか、そういう邪念が見えるとしらけちゃう。うーん、微妙な感覚ですが、例えば舞台の泣く演技で、露骨に「泣き声つくって台詞しゃべれば泣いてるように見えんだろ、さぁ私の演技で感動しろ」みたいな感じのとかがすっごい苦手なんですが、その感覚に近いですね。ぶりっこ見てるのと同じ感覚。

 私は女ですし、しかももともとアイドルというものにあまり興味が無い人間だったので、もしかしたら大多数のアイドルオタクの方々とは感覚が全く違うのかもしれません。世間的にウケるアイドル像は、もしかしたら‘16以降の雰囲気かもしれない。でも個人的には、「あのころの素直な歌、良かったのになあ…」って、どうしても思ってしまいます。だって鞘師だけじゃなくて、‘14くらいまではみんなとっても素直だったんですよ。

 あと微妙に関係ないようなあるようなことですが、個人的にふくちゃんはブレインストーミングくらいまでの、ぽやーっとした、ちょっとアレな言い方をすればなんにも考えてなさげな能天気っぽい声音の歌がすっごい好きでした。棒だとかなんとか言われていたようですが、それが個性だったというか、最強に萌えませんでしたかあれ。ふくちゃんはドヤる系よりも、ああいうポヤポヤ系でいてほしかったな…。そしてたまに女王様になる。ギャップが最高やん。

 

5.最後に番組の感想。

 

 よこよこの全力の笑顔は単純に好感が持てますよね。

 選曲は番組側からの指定もあるかもだからあれだけど、やるならUpdatedじゃなくて原曲で良かったのにな、と思いました。Updatedはやっぱり、鞘師の歌とさゆの声質ありきだったと思うし、13人でのフォーメーションダンスは広がりすぎて画面映えが悪い。どちらの番組もカメラへたくそだったのもありますが、よっぽど熟考してうまくやってくれないとかっこよく撮れないよあのフォーメーション。ていうか‘17には原曲まんまのが似合ってると思う。でもまあ、いつもやってる振付のほうがやりやすいしだろうしな……

 あと、あの頭の王冠は舞台でなら良いけどテレビ画面で見ると安っぽすぎて好きくないとか台詞なんでふくちゃんなんだとか、諸々すさんだ心に文句が浮かびまくりましたが、それを吹き飛ばす勢いでまりあが可愛かったのと飯窪さんが美しかったのでちょっと元気出た。

 うだうだ言ってても、やっぱみんなのこと好きだから今後も応援はしたいんだよな……我ながらめんどくさい。